Keyword of Downton Abbey/ダウントン・アビーのキーワード

1912年のとある有名な事件からスタートする「ダウントン・アビー」は、セリフやストーリーにたくさんのキーワードが登場します。英国貴族の習慣や伝統、法律。当時のイギリスの社会情勢や諸国との関係。第一次世界大戦勃発にはじまる幾多の激戦や、戦争にともなう貴族の経済状況。「ダウントン・アビー」を観ていくと、製作者のジュリアン・フェローズが「いちばん面白い時代だ」と言う過渡期のイギリス、そしてその歴史がよく見えてきます。
このページでは、本編中で“ちょっと気になる言葉”をピックアップし、簡単にご紹介しています。ご興味がある方は、深く調べてみるとさらにドラマを楽しめることでしょう!

【シーズン1のキーワード】

1912年[第1話]

物語がスタートする1912年、当時のイギリス国王はエドワード7世(後にジョージ5世)、首相は第52代のハーバート・ヘンリー・アスキス(女優のヘレナ・ボナム=カーターは彼の曾孫)。1907年後半からの不況で失業率も高かったため、労働党による労働権確立を求める運動が起こっていた。日本では明治45年。明治天皇が崩御し、7月30日からは大正元年となる。日本とイギリスの間には日英同盟が結ばれ、また日本はストックホルムオリンピック(5/5〜7/27)に初参加した。

タイタニック号沈没[第1話]

豪華客船タイタニック号の処女航海は1912年4月10日、沈没したのは4月15日。 世界最悪の海難事故と言われた。

限嗣相続制[第1話]

当時のイギリス貴族社会では、相続条件を指定した限嗣相続制度をとっていた。これは莫大な財産のうち、土地や屋敷など不動産の分散を避けるためだが、継承順は男系の親族をたどることが多く、女性は相続できないことが多かった。
詳しくは、スペシャルページにて。

【シーズン2のキーワード】

ソンムの戦い[第1話]

フランス北部・ピカルディ地方を流れるソンム河畔の戦線で展開された、第一次世界大戦における最大の会戦。連合国側のイギリス軍・フランス軍が同盟国側のドイツ軍に対する大攻勢として1916年7月1日に開始した。塹壕戦を中心に展開し、英陸軍史上最大の損失が発生した。最終的に両軍合わせて100万人以上の損害を出したと言われる。世界で初めて、戦車が登場した戦いとしても有名。

マルコーニ・スキャンダル[第3話]

1912年、無線電信の開発で知られるイタリアの発明家グリエルモ・マルコーニが起こしたマルコーニ社の株式の不正取得で、英国の首相はじめ政府の要人らが関係した大政治スキャンダル。同年に発生したタイタニック号沈没事件で、乗船し救難信号を送信していた2人の無線技師はマルコーニ無線電信会社の社員だった。これが世界初の緊急遭難信号(SOS)であり、タイタニック号沈没の件を調査する法廷で、マルコーニは船舶電信の機能と緊急時の規定についての証拠を提出、英国に無線通信の重要性が広く認識されることとなったため、このインサイダー取引事件はより一層の注目を集める大事件となった。

アイルランドとイギリス[第3話]

アイルランドは、オリバー・クロムウェル(イングランド共和国初代護国卿)による侵略から、イギリスが最初に支配した植民地となった。プロテスタントによるカトリック教徒への迫害などをめぐって関係性は悪化し、1919年にアイルランド独立戦争が起こる。

戦時中の貴族邸[第4話]

1914年に勃発した第一次世界大戦時、上流階級の若者たちは多くが西部戦線(フランドル戦線)へ出征し、戦死した者も多かった。貴族の邸も政府に接収されて兵舎となったり、学校や病院、さらに刑務所に改装され、利用されていた。

アミアン[第5話]

フランス北部に位置するソンム県の県庁所在地で、ソンム川で二分されるコミューン。第一次世界大戦、第二次世界大戦の両方で要地となっている。第一次世界大戦時、アメリカの大軍を加えた連合国軍による圧倒的な物量差でドイツ軍を後退させた第二次マルヌ会戦の2日後、1918年8月8日からアミアンの戦いが開始された。ここで連合軍は快勝し、全戦線で突破に成功した。

ヴィットリオ・ヴェネトの戦い[第6話]

第一次世界大戦中の1918年10月24日~11月3日、イタリア王国軍とオーストリア=ハンガリー帝国軍の間で行われた大規模な戦闘。オーストリア軍はこの戦いでイタリア軍に大敗し、50万名以上の兵士を失って西方戦線での主戦力を喪失した。

第一次世界大戦終戦[第6話]

1918年11月11日、フランスのコンピエーニュにおいてドイツ軍と連合国軍との間の休戦協定が成立し、第一次世界大戦が終結した。この日は戦没者追悼の日としてイギリス連邦諸国では休日となっている。

★ちなみに… 日本は日英同盟に基づいて、1914年8月23日にドイツ帝国へ宣戦布告、連合国の一員として参戦した。大日本帝国海軍の駆逐艦「榊」は地中海で英国輸送船トランシルバニア号の乗務員の救出活動にあたっている。

グレトナ・グリーン[第7話]

駆け落ち結婚で有名な、スコットランド南部西海岸の町。1753年以来、イングランドでは両親の承諾を得た21歳以上の男女のみに結婚が制限されたが、この法律はスコットランドでは適用されなかった。スコットランドでは男性は14歳、女性は12歳以上ならば親の承諾なしに結婚できるため、イングランドの婚姻法が改正されるまでは多くの駆け落ちカップルがスコットランドに入って最初の町であるグレトナ・グリーンへ向かった。

セダ・バラ[第7話]

サイレント時代に人気があったアメリカの女優。ハリウッド初のセックス・シンボルとして有名でニックネームは"The Vamp"。1914年に映画デビューし、1915年公開の『愚者ありき』で妖婦を演じて大スターとなった。代表作に「クロイツェル・ソナタ」 (1915)、「サロメ」(1918)。

スペインかぜ[第8話]

1918~19年にかけて世界的に流行したインフルエンザ。感染者は5億人、死者は5,000人~1億人。人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行と言われる。発生源はアメリカだが、情報がスペインからだったため、スペインかぜと呼ぶ。この病気で死者が増大し、第一次世界大戦の終結が早まったと言われる。日本でも竹田宮恒久王、劇作家の島村抱月らがスペインかぜで死亡した。

プランシェット[第9話]

日本でいうところの「コックリさん」。1892年にパーカー・ブラザーズ社が占いゲーム用品として発売した文字盤。西洋では盤をウイジャボード、手をのせて盤上を動くハート型の木片をプランシェットと呼ぶ。

使用人舞踏会[第9話]

貴族は年間の節目に合わせて使用人を慰労する習慣があり、使用人舞踏会もそのひとつ。クリスマスなどは雇い主の一家が階下に降り、使用人と一緒に踊る。使用人を慰労する習慣は“ダウントン・アビー”でももちろんあり、この使用人舞踏会の他にもクリスマスの日のランチでは使用人を使わずに自分たちだけで食事をしたり、雇い主から使用人たちへのプレゼントを渡したりする。

【シーズン3のキーワード】

イギリスの結婚式[第1話]

イギリスの結婚式は、一般的には簡素。戸籍登録所では、誓いの言葉を述べるだけといった、ごく簡単な式も執り行われる。『結婚式の前日から、花嫁と花婿は顔を合わせてはいけない』と言うジンクスも昔からの言い伝え。他に不幸を呼ぶジンクスは『挙式前に新郎がウェディングドレスを見る事』なども。幸せを呼ぶジンクスは『虹を見る』、『煙突掃除人から挨拶される』など。ベスト・マンは新郎の付き添い代表者で、新郎の兄弟や、親友が務めることになっている。新婦の付き添い代表はメイド・オブ・オナーと呼び、同じく新婦の姉妹や、親友が務める。

ロイド・ジョージ首相[第2話]

1884年に弁護士資格を取得し、弁護士事務所を独立開業後、1890年にカーナーヴォン・バラ選挙区の補欠選挙に自由党候補として出馬し、庶民院議員に初当選。第一次世界大戦中の1916年に辞職したアスキス首相に代わり、就任した。パリ講和会議に出席、戦後処理に尽力した。1921年にはアイルランド独立を認めるも、1922年に保守党の離反により内閣総辞職。

カントリー・ハウスの種類[第3話]

“ダウントン・アビー”のようなイギリス貴族の広大なカントリー・ハウスは16世紀から1914年までに建設され、地主によって所有されている。その広さや建築様式、名称も様々で、ハウス、ホール、カースル、パーク、コート、アビー、プライオリ、グレインジなど建物の由来を反映した呼称が用いられている。「ダウントン・アビー」の撮影地は有名なハイクレア城(カースル)、また映画『ハリー・ポッター』のホグワーツ魔法魔術学校のロケ地はイングランド北部に存在するアニック・カースル。改めてだが、このドラマのタイトル「ダウントン・アビー」の意味は、“ダウントン村の大邸宅(=アビー)”ということになる。

電気トースター[第4話]

発明者は、トーマス・エジソン。「マルコーニ・スキャンダル」で有名な無線電信の開発者グリエルモ・マルコーニとは無線機の発明を競った。エジソンは1868年に21歳で電気投票記録機を発明し、その後1869年に株式相場表示機、1877年に電話機・蓄音機、1879年に電球、1880年に発電機を発明した。トースターを発明したのはその後、1910年。本編にはポップアップ型が登場する。

スケッチ紙[第5話]

デイリー・スケッチ紙はイギリスのタブロイド新聞。1909年にマンチェスターで設立された。1971年に廃刊し、大衆紙のデイリー・ミラー紙と合併した。イギリスでは新聞にも多くの種類があり、上流階級・知的階層向けのクオリティ・ペーパーと呼ばれる高級紙、中流階級・労働者階級向けの大衆紙に分かれている。高級紙で最も売れているのは「デイリー・テレグラフ」紙。大衆紙では「サン」紙(旧デイリー・ヘラルド紙)。

妊娠中毒症(妊娠高血圧症候群)[第5話]

主に、妊娠後期に見られる疾患群の総称。高血圧、蛋白尿、浮腫、そして異常な高血圧と共に痙攣や意識障害などを起こす子癇(しかん)などを生じる。

ハーレー街の開業医[第6話]

ロンドン中心部、ウエストミンスターを東西に貫くハーレー街は開業医、歯科医が多い高級住宅街。技術が高くまた診療代も非常に高額なプライベート・ドクターが集まり、ハーレー街に診療所があるということは一流の医師の証とされていた。

『東への道』[第7話]

『東への道』(Way Down East)は1920年公開のサイレント映画。監督は「映画の父」と呼ばれる名匠D・W・グリフィス、主演はサイレント時代の名女優リリアン・ギッシュ。日本公開は1922年。田舎娘アンナ・ムーアがプレイボーイのサンダースンに騙されて妊娠するが捨てられて…という波乱のロマンス作品。

緋文字(ひもんじ)[第7話]

「緋文字」はアメリカ人小説家ナサニエル・ホーソーンによって執筆され、1850年に出版されたアメリカ合衆国のゴシックロマン小説で、17世紀のニューイングランドの厳格な清教徒社会で生きる女性ヘスターを描く。ヘスターは姦通の罪を犯し、出産するが父親の名を明かさない。

クリケット[第8話]

16世紀前半のイングランドで始められ、18世紀に大きく発展した国民的スポーツ。1チーム11名の2チームによって攻撃側と守備側に交互に分かれて対戦する。フィールドは全面芝。イギリスでは上流階級がたしなむスポーツとして別名「紳士のスポーツ」といわれ、イートンなどの名門校の体育ではクリケットは必修種目。試合形式にもよるがドリンクタイム、ティータイム、ランチタイムなどの休憩を挟む。

スコットランドの城[第9話]

本編に登場するダンイーグル城のようにスコットランドにも貴族の館は多い。ダンイーグル城として撮影に使用されたのはスコットランドに実在するインバレリー城。アーガイル公爵の15世紀以来の居城。舞踏室など内部はハートフォードシャーに実在するローサム・パークというカントリー・ハウスで撮影されているが、『ゴスフォード・パーク』でも使用されている。

狩猟[第9話]

イギリスではシカを対象とした狩猟はhuntingではなく「stalking ストーキング」と呼ばれる。狩猟はイギリス貴族、富裕層の嗜みとして行われた。広大な領地では、土地の所有者に雇われた狩猟案内人(ゲームキーパー)が猟場へ案内する。

リール[第10話]

フォーク・ダンスの一種で、ジグ、ストラスペイ、ワルツに並ぶ4大スコティッシュ・カントリーダンスのひとつ。スコティッシュ・カントリーダンスでは、3人以上のダンサーが複雑に絡み合う軌道に沿って動きながら踊り、その動きにも無数のバリエーションがある。

貴族とカントリー・ハウス[第10話]

カントリー・ハウスには低賃金で働く大量の使用人が欠かせないが、18世紀半ばから起こった産業革命で社会構造が変化すると、貴族は経済的に多くの使用人を抱えることが困難となった。そして第一次世界大戦後には労働党政権による増税、また農業生産物価格の下落などで多くの貴族が経済的に困窮し、歴史あるカントリー・ハウスを手放すこととなった。

【シーズン4のキーワード】

乳母[第1話]

当時の乳母(ナース)はメイドのように下働き扱いではなく、ヒューズのようなハウスキーパーの下で、子供の世話をするだけのために雇われていた。ナースメイドという子守りの専門職がいる場合、ナースはナースメイドに子供の食事や散歩などの世話を任せ、自らは子供の躾に専念していた。ダウントン・アビーでは一人の乳母がシビーとジョージの面倒を見ており、副執事のトーマスにも上から目線で物を言うなど、その立場ははっきりしていた。

救貧院[第1話]

1920年代当時も行われていた政府による貧困者支援対策。高齢者・社会的弱者が特定の地域に住み続けるために慈善団体によって提供される住居「アルムスハウス」、貧窮した高齢者を収容する「プアハウス」、自立して生活できない者を収容し仕事を与える施設「ワークハウス」などがある。ほとんどの収容者は石を割ったり、電信線から麻を取り除くといった種類の作業をしており、他にもスパイクと呼ばれる大きな金属の爪を用いて縄をほどいて槙肌を作る仕事があった。このため「スパイク」という別名でも知られる。

フィリス・デア[第2話]

1890年生まれの英国人歌手。姉ジーナと妹フィリスのデア姉妹はたいへんな人気女優で、舞台の他、フィリスは映画、ジーナは映画の他にTVシリーズなどでも活躍した。1922年に主演したミュージカル「The Lady Of The Rose」(「バラの貴婦人」)はロンドンで大ヒット。ジミーがアイビーを誘ったのはこの舞台で、1922年、ロンドンのレスター・スクエアにあるデリーズ・シアターで上演されていた。またこの作品にはアイビー・トレスマンというミュージカル女優が出演している。

エイプリル・シャワーズ[第3話]

ルイス・シルヴァースとB.G.デ・シルヴァによって書かれたポピュラーソングで、1921年にアル・ジョルスンによって歌われて以来、多くの歌手に歌い継がれている。

ネリー・メルバ[第3話]

1861年生まれ、当時イギリス領だったオーストラリア出身のオペラ歌手。第一次世界大戦中の慈善活動に対して勲爵位を与えられ、デイムの称号を持つ。クラシック音楽の音楽家として国際的な名声を得た最初のオーストラリア人であり、ヴィクトリア朝後期から20世紀にかけて最も有名な歌手のひとり。フランスのシェフ、オーギュスト・エスコフィエが彼女を讃えて創作したデザートのピーチ・メルバ、メルバトーストなどは現在も有名。本作でネリー・メルバを演じたのはニュージーランド出身の世界的なオペラ歌手キリ・テ・カナワで、彼女の出演シーンを一目見ようと、キャスト・スタッフがリハーサルに駆けつけた。

グーテンベルク聖書[第3話]

15世紀、ドイツの金属加工職人で印刷業者のヨハネス・グーテンベルクが活版印刷技術を用いて印刷した世界初の印刷聖書。羊皮紙に印刷されたものと紙に印刷されたものがあり、180部が印刷されたと考えられている。現時点で存在が確認されているのは不完全なものも含めて48部しかない。もっとも多く存在する国はドイツとアメリカ合衆国であり、それぞれ12部。イギリスには大英図書館はじめ8箇所に存在する。日本には紙製のものが慶應義塾大学図書館にある。グランサム伯爵ロバートによれば、ダウントン・アビーの書庫にも一冊眠っているとか…。

リッツ・ロンドン[第4話]

ロンドンのピカデリー通りに建つ、イギリスを代表する高級ホテル。開業は1906年。イギリス王室御用達のロイヤル・ワラントを受けている唯一のホテルでもある。ロンドン市内のホテルでは唯一ドレスコードがあり、ミック・ジャガーがレストラン入店を断られたことは有名。開業後暫くの間は、リッツのビジネスパートナーであったフランス人シェフ、オーギュスト・エスコフィエがレストランの指揮を執っていた。

マリー・ストープス[第4話]

1880年、エディンバラ生まれの植物学者・作家・女性運動家。産児制限運動や性教育の分野で、家族計画に関する著作『結婚愛』(「Married Love.」)や『賢明な親』(「Wise Parenthood.」)を1918年に発表し、ベストセラーとなった。1907年、27歳で単身来日。東京大学で講義をし、北海道で化石採集を行うなど明治時代の日本でも活躍している。

家電の波及[第5話]

1920年代は貴族邸のキッチンにも電動泡立て器を始めとした電化の波が押し寄せた。1918年、ケルビネーター社がバイメタル式サーモスタット付冷蔵庫を発表し、その後1922年にバルザー・フォン・プラテンとカール・ミュンター(スウェーデン)の吸収式冷蔵庫が登場した。三井物産は1923年、米国から冷蔵庫を初輸入している。足踏みミシンはすでに発明されていたが1851年にアメリカの発明家アイザック・メリット・シンガーが特許を取り、I. M. シンガー社を起こす。本編で使用されていたミシンはシンガー製。

ルドルフ・ヴァレンティノ[第6話]

1895年、イタリア生まれ、サイレント映画時代のハリウッドで活躍した俳優。イタリアからニューヨークへ渡り、1917年、ハリウッド映画『Alimony』にダンサーとして出演。その後レックス・イングラム監督の『黙示録の四騎士』にアルゼンチン人役で出演し一躍スターとなった。エキゾチックな容姿が受け、アラブ系の族長を演じた『シーク』、スペイン人の闘牛士を演じた『血と砂』、ロシア貴族を演じた『荒鷲』などは大ヒットした。1926年に31歳の若さで病死し、葬儀には10万人のファンが集まったとされる。

堕胎[第7話]

イギリスでは1861年に「The Offence Against the Person Act」として中絶、人工流産は終身刑と定められ、1929年には「The Infant Life Preservation Act」として母体の生命が危険な場合を除いて28週以上の生まれてくる可能性がある乳児を殺した場合、乳児殺害罪に問われることになった。堕胎を扱ったイギリス映画に『ヴェラ・ドレイク』『サイダーハウス・ルール』などがある。

養豚事業[第7話]

畜産の歴史が長いイギリス。6品種中もっとも歴史の古い品種大ヨークシャー、最も繁殖能力が高い品種ランドレース、体色が黒い高品質のバークシャーなどが有名。また1922年に、イギリスの畜産動物ウェルフェア専門委員会が家畜動物の動物福祉「5つの自由」を提案し、国際的に認知されている。

ティーポット・ドーム事件[第8話]

1921年から1924年にかけてアメリカで起こった汚職事件。20世紀初頭、ウィリアム・タフト大統領は石炭から石油へ燃料の転換期に海軍の燃料を確保するため油田を海軍保有としていたが、1921年に、ウォレン・ハーディング大統領がワイオミング州のティーポット・ドーム油田、カリフォルニア州のエルク・ヒルズ油田、ブエナ・ビスタ油田の管理を海軍省から内務省に移管し、入札なし、かつ安い使用料で民間企業に賃貸した。この問題が調査対象となり、ついには逮捕者を出した。ウォーターゲート事件以前、アメリカ政治史上最大かつもっともスキャンダラスな事件とされている。

社交シーズン[第9話]

当時のイギリスの社交シーズンは12月頃から8月頃まで。貴族たちは領地のカントリー・ハウスからロンドンのタウン・ハウスへ移動し、上流階級同士の交流を深める。乗馬、お茶会などがひんぱんに催され、夜は舞台を観たり、舞踏会や各家でのディナー・パーティーに招待されたりと多忙な時期を過ごす。特に舞踏会は将来の伴侶を見定める機会として絶好の場所だった。

王立芸術院[第9話]

ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ。1769年に開校、ロンドンのピカデリーにある国立の美術学校で美術館が併設されている。ロイヤル・アカデミー・スクールはイギリス最古の美術学校。建物はパラディオ様式のバーリントン邸という貴族の屋敷が使用されている。

アルバート記念碑[第10話]

夫の死を悼んだヴィクトリア女王が万博の剰余金で1872年に完成させた、アルバート公を象った像で、建築家ジョージ・ギルバート・スコットがゴシック・リヴァイヴァル建築様式で設計した。ロンドンのハイド・パーク内にある。

海水浴[第10話]

17世紀のヨーロッパが発祥。健康増進をもたらすとして奨励され、上流階級の人々を中心に海水浴の人気が高まった。イングランド南東部イースト・サセックス州西端のブライトン海水浴場が有名で、1841年にロンドンから鉄道が敷かれたことから旅行者が急増した。ヴィクトリア朝時代にはホテルや桟橋なども作られ、イギリス最大のリゾートとしても知られる。北海の水のため非常に冷たく、日本のように泳ぐというより浜辺で潮風を楽しむ、といった趣。日本でも明治時代に陸軍軍医の松本良順が海水浴を奨励している。

シーズン5のキーワード

1924年[第1話]

1月、イギリスは初の労働党によるマクドナルド内閣が成立。2月1日、英国はソビエト政権を承認する。1月25日には第1回冬季オリンピックとなるシャモニーオリンピックが開幕。5月にはフランスでパリオリンピックが開幕した。日本は大正13年。1月26日に日本皇太子裕仁(後の昭和天皇)と同女王良子(後の香淳皇后)が御結婚。8月には全国中等学校優勝野球大会の開催を主目的とした、日本初の大規模多目的野球場・阪神甲子園球場が竣工した。

フー・マンチュー[第1話]

イギリスの作家サックス・ローマーが創造した架空の中国人博士。単行本第1作のタイトルは「ドクター・フー・マンチューの秘密」。頭脳明晰だが残忍な性格で、西欧諸国による支配体制を破壊するため陰謀を画策し、世界征服の野望を持つ人物。1923年にイギリスで映画化され、その後多くの映画が製作された。

ロシア貴族と革命[第2話]

第一次世界大戦中、ロシア帝国では食糧危機などから国民の皇帝への不満が高まっていった。1917年、ついに国内で「二月革命」が勃発してロマノフ朝は崩壊し、栄耀栄華を謳歌したロシアの貴族たちは財産と地位を失い、国を追われた。ロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世の一家は幽閉され、その後、処刑された。ニコライ2世の母マリア皇太后と妹のクセニア、オリガを含めた多数の貴族は、1919年、マリアの甥にあたるイギリスのジョージ5 世がイギリス海軍の超弩級戦艦マールバラで救出した。(イギリス王太后のアレクサンドラはマリア皇太后の姉にあたる)マールバラはイスタンブールに到着し、ロシア難民たちはそこからイギリスやフランス、また後年アメリカなどへ逃れていった。劇中、混乱の中で離散したクラーギン公爵家では公爵はイギリスへ、公爵夫人は行方不明になってしまう。

ラジオ[第2話]

世界で初めて無線による音声放送を実現したのは1900年、アメリカの電気技術者レジナルド・フェッセンデン。イギリスでは1922年2月、グリエルモ・マルコーニが設立した無線機メーカー、マルコーニ社のスタジオから、英国初のラジオ定期放送がスタート。その後英国の無線機メーカー6社による「英国放送会社」(British Broadcasting Company=BBC)として放送を開始し、11月には毎日の定期放送がロンドンを皮切りに、バーミンガム、マンチェスターなどで始まった。ちなみに日本初のラジオ放送は1925年3月22日9時30分、社団法人東京放送局(JOAK:現在のNHK東京ラジオ第1放送)によるもの。

ジョージ5世[第2話]

1865年6月3日生まれ、在位は1910年5月6日から、1936年1月20日まで。父はエドワード7世、母はアレクサンドラ・オブ・デンマーク。即位25周年記念式典では、国民に向けて自らを「ごく平凡な1人の人間に過ぎない」と述べ、国民から広く愛された。現在イギリスで毎年の恒例となっているクリスマス演説はジョージ5世の治世下の1932年から開始されている。1936年1月20日に満70歳で没した。息子のジョージ6世を描いた映画『英国王のスピーチ』では名優マイケル・ガンボンがジョージ5世を演じている。

ピエロ・デラ・フランチェスカ[第2話]

1412年生まれ、没年は1492年。ボッティチェッリなどより一世代前の、イタリア初期ルネサンスを代表する画家。代表作『キリストの洗礼』はロンドンのナショナル・ギャラリー蔵。また美術史上最も徹底して数学や幾何学に打ち込んだ最初期の画家の一人としても有名で『算術論』『遠近法論』『五正多面体論』を著す。

避妊具[第2話]

メアリーが読んでいたのはマリー・ストープスによる『結婚愛』。1920年代、イギリスのロンドンにあるマザーズ・クリニックで、殺精子剤入りのペッサリーの処方が開始された。

ダグラス・フェアバンクス[第2話]

アメリカで活躍した俳優、脚本家、映画監督、プロデューサー。元妻は女優のメアリー・ピックフォード、息子は俳優ダグラス・フェアバンクスJr.。1915年に『快男子』でデビューし、『怪傑ゾロ』、『ロビン・フッド』など冒険活劇映画のヒーロー役で絶大な人気を集める。1883年5月23日生まれ、1939年12月12日に満56歳で没した。

ローザ・ルクセンブルク[第2話]

ドイツで活躍したマルクス主義の政治理論家、哲学者、革命家。革命組織スパルタクス団を母体とするドイツ共産党を創設し1919年1月、ベルリンでドイツ革命に続いて1月蜂起を指導したが逮捕され、虐殺された。

バスティーユ襲撃[第2話]

フランス革命のはじまりとされ、1789年7月14日にフランス王国パリの民衆が同市にあるバスティーユ牢獄を襲撃した事件。王妃マリー・アントワネットや王弟アルトワ伯らによる財務総監ジャック・ネッケルの罷免が民衆とブルジョワジーたちを激怒させたことが引金となり、彼らが向かったバスティーユで激しい銃撃戦となった。群衆はバスティーユを制圧し、7人の囚人が解放された。

ブロンテ姉妹[第3話]

イギリスのビクトリア時代を代表する小説家3姉妹。シャーロットは「ジェーン・エア」、エミリーは「嵐が丘」、アンは「ワイルドフェル屋敷の人々」を発表し、それらは今なお世界中で読み継がれている。エミリーは結核で1848年12月19日に30歳で死去。アンもまた結核で1849年5月28日に29歳で死去した。シャーロットは副牧師のアーサー・ニコルズと結婚したが1855年3月31日、妊娠中毒症により38歳で死去した。

アルフレート王子、マリア皇女の結婚式[第3話]

アルフレートはザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルベルト(英語名アルバート)とその妻、イギリス女王ビクトリアの次男。イギリス王族としてエディンバラ公にも叙されていた。妻はロシア皇帝アレクサンドル2世の娘、マリア・アレクサンドロヴナ。2人は1874年1月23日、サンクトペテルブルクで結婚した。アルフレートは1869年に来日し、欧米諸国の王族による日本訪問は、これが初めてとされる。

冬宮殿[第3話]

ロシア皇帝の冬季の王宮としてサンクトペテルブルクに1754年から1762年にかけて建設された、かつてのロシア帝国の宮殿。最初に使用したのはエカテリーナ大帝で、以後、ロシア二月革命による帝政廃止後は臨時政府が置かれた。エルミタージュ美術館の本館でもあり、サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群として世界遺産に登録されている。

茶色の服を着て暴れている集団[第4話]

1923年11月8日から9日にかけて、ドイツのミュンヘンで起こったナチス党員によるクーデター未遂事件「ミュンヘン一揆」を示唆する。ドイツ闘争連盟が起こした事件で、参加者はエーリヒ・ルーデンドルフ、アドルフ・ヒトラー等。ヒトラーらは逮捕され1924年の裁判の結果、実刑となったが、後年、ナチスが政権を掌握するとミュンヘン一揆は党の記念碑的な事件となった。当時、ミュンヘン大学精神病学教室に留学中だった歌人の斎藤茂吉は、帰国後に当時を回想して『ヒットレル事件』を著した。

エジプシャン・ファッション[第4話]

1922年11月4日、イギリスのカナーヴォン卿の支援を受けた考古学者ハワード・カーターがエジプトの王家の谷でツタンカーメン王の墓を発見、発掘した。これがヨーロッパに多大な影響を与え、発掘ブームが巻き起こる。ムーブメントはファッションにも波及し、当時の女性用ファッションやメイク用品などにもエジプト趣味がもてはやされた。このカナーヴォン卿こそが第5代カナーヴォン伯ジョージ・ハーバートであり、8代目カナーヴォン伯爵夫人フィオナが「ダウントン・アビー」の撮影場所であるハイクレア城の現在の所有者である。

ケンジントン・ガーデンズのピーター・パン像[第4話]

ロンドンにある王立公園ケンジントン・ガーデンズ内にはアルバート記念碑、ケンジントン宮殿、ピーター・パン像、サーペンタイン・ギャラリーなどがある。メアリーが待ち合わせ場所にしたピーター・パン像はジョージ・フランプトンの作品。ピーター・パンはロンドンのケンジントン公園で乳母車から落ちた赤ん坊、とされる。

オデッサのユダヤ人迫害[第5話]

オデッサはウクライナを代表する工業都市、リゾート地。19世紀後半には町の人口の35%近くをユダヤ人が占めていたが、1870年代以降、2度の大規模なポグロム(ユダヤ人に対して行なわれた集団的迫害行為)が発生し、また1920年2月7日にオデッサにソビエト政権が樹立されたことからボリシェヴィキ政権を避けて多くの人間がロシア国外に脱出した。アティカスの家系はこの流れを汲む。

馬の障害レース[第6話]

イギリスで最初に競馬が行われたとされるのは12世紀頃で、その後1540年に世界初の競馬場としてチェスター競馬場が建設された。毎年6月の第3週にイギリスのアスコット競馬場でイギリス王室が主催する競馬「ロイヤルアスコット開催」はイギリスの競馬開催の中でも最も格が高い。

労働党政権[第7話]

英国では1924年1月22日に労働党が組織した最初の内閣、マクドナルド内閣が成立した。首相のラムゼイ・マクドナルドは労働党代表委員会の主事、初代労働党書記長を務めたが、9ヵ月で退陣。1929年に返り咲き、第2次労働党単独内閣を組閣することになった。

民事婚[第8話]

ローズとアティカスが行ったのは、非宗教の法律婚。一例として、前述のザクセン=コーブルク=ゴータ公アルフレッドの末娘ベアトリスはスペイン王子のアルフォンソ・デ・オルレアンスと結婚したが、プロテスタント信徒のベアトリスは、結婚に際してカトリックへの改宗を選ばなかったため、2人は民事婚の後、花婿の宗派カトリックと花嫁の宗派プロテスタントでの宗教婚をそれぞれ行った。

ダイヤー准将[第8話]

1919年4月13日、インドのパンジャーブ地方アムリットサルでアムリットサル事件が発生した。これはスワデーシー(国産品愛用)の要求と、ローラット法発布に対する抗議のために集まった非武装のインド人市民に対して、グルカ族およびイスラム教徒からなるインド軍部隊が無差別射撃したもので、群衆に発砲したのがイギリス軍人レジナルド・ダイヤー准将。この件で任を解かれるも帰国すると英雄として迎えられた。

ハンナ・ロスチャイルド[第8話]

ロスチャイルド家はヨーロッパの財閥、貴族で、門閥として世界的に名高い家系。18世紀後半にフランクフルトのユダヤ人隔離居住区出身のマイアー・アムシェル・ロートシルトが銀行家として成功し、彼の5人の息子がフランクフルト、ウィーン、ロンドン、ナポリ、パリに分かれて事業を拡大した。ロンドン・ロスチャイルド家はネイサン・メイヤーから始まり、ネイサンの孫娘のハンナは1851年生まれ、アーチボルド・プリムローズ (第5代ローズベリー伯爵)と結婚した。1874年に彼女の父親の遺産を受け取ると英国一裕福な女性となった。

スペイン継承戦争[第8話]

1701年から1714年にかけて、スペインの継承者を巡ってヨーロッパ、北アメリカで行われた戦争。北アメリカ大陸で行われた局地戦はアン女王戦争と呼ばれている。最終的に、スペイン王国の奴隷貿易に参入できるなどとしたイギリス1人勝ちとなるユトレヒト条約と、オーストリアがスペイン領ネーデルラント・ミラノ・ナポリ・サルデーニャを領有するなどの内容となるラシュタット条約が締結され、幕を閉じた。

スタッグ・パーティー[第8話]

新郎が独身最後の夜を同性の友人と過ごすパーティーのこと。アメリカではバチェラー・パーティー、イギリスではスタッグ・パーティーと呼ばれている。対して女性だけのパーティーはバチェロレッテ・パーティー。主に花婿の友人や付き添い人(ベスト・マン)などが企画し、ストリップ鑑賞などが催される。

戦没者記念碑[第8話]

イギリスでは第一次世界大戦に於いて多数の死者を出し、兵士の遺体は本国に戻ることなく海外の英連邦戦争墓地に埋葬された。戦後イギリスでは各地に第一次世界大戦の戦没者追悼記念碑や施設が建てられ、代表的なものはイギリス政府の中枢として認識されるロンドンのホワイトホールに建立されたセノタフ(第一次世界大戦戦没者記念碑)。第一次大戦の休戦記念日(リメンバランス・デー)である11月11日直近の日曜日、午前11時までに慰霊碑に女王が献花し、11時にビッグベンが鐘を鳴らして1分間の黙祷を開始する。

ブランカスター城[第9話]

劇中の「ブランカスター城」は、イングランド北部に存在し、多くの映画などで使用されているアニック・カースル(Alnwick Castle)。ケイト・ブランシェット主演の映画『エリザベス』、『ハリー・ポッター』のホグワーツ魔法魔術学校や、TVシリーズ「ホロウ・クラウン/嘆きの王冠」などのロケ地としても有名で、城のツアーなども行われている。

モータースポーツ[第10話]

1906年、フランスで第1回ACFグランプリが開催され、その後1923年にル・マン24時間レースがスタートする。イギリスではモータースポーツは貴族の間で大人気を博し、1907年、英国自動車産業の遅れを憂いた男爵家の子息ヒュー・ロック・キングが私財を投じて、サリー州ウェイブリッジに世界初の常設サーキット兼飛行場として"ブルックランズ"を建設した。「ブルックランズ・ミュージアム」には1991年マクラーレン・ホンダをはじめ有名なレーシングカーの数々が展示されている。

ファイナル・シーズンのキーワード

1925年[第1話]

イタリアでは1月にムッソリーニが独裁宣言。2月、英国人のハワード・カーターが、エジプトの王家の谷でツタンカーメンの王墓を発見した。(スポンサーは 「ダウントン・アビー」のロケ地ハイクレア城のかつての所有者、第5代カナーヴォン伯爵ジョージ・ハーバート)英国では4月に「金本位制」が復活。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が再建された年でもある。日本は大正14年。3月に東京放送局がラジオ放送を開始。5月5日、25歳以上の男子に選挙権を与える普通選挙法が公布された。 東京六大学野球のリーグ戦、東京の山手線で環状運転も開始された。

ヴァージニア・ウルフ[第1話]

1882年ロンドン生まれのイギリスの女性小説家、評論家。20世紀モダニズム文学を代表する作家のひとり。代表作に『ダロウェイ夫人』『灯台へ』『オーランドー』など。ヴィクトリア朝文学界の影響の色濃い環境で育ち、ロンドンのキングス・カレッジの女子部でギリシャ語、ラテン語、ドイツ語と歴史の課程を履修する。作家のレナード・ウルフと結婚したが、ハロルド・ニコルソンの妻サックヴィル=ウエストとも関係をもった。1941年3月28日、自宅近くのウーズ川で入水自殺した。

リットン・ストレイチー[第1話]

1880年生まれ、イギリスの伝記作家、批評家。ヴァージニア・ウルフやE・M・フォースター、J・M・ケインズ等と共に、イギリスの芸術家や学者からなる組織「ブルームズベリー・グループ」の主要メンバーだった。代表作に『ヴィクトリア女王』『エリザベスとエセックス 王冠と恋』『ナイティンゲール伝、他一篇』『ヴィクトリア朝偉人伝』など。同性愛者でもあり、同性愛をタブー視するなどしたヴィクトリア朝の文学・思想・道徳を批判、偶像破壊的な伝記叙述のスタイルを確立した。

家畜品評会[第2話]

農業、牧畜や園芸といったアグリカルチャーの品評会が頻繁に開催されるイギリス。家畜(馬、羊、豚、牛など)の優劣を競う品評会、馬術競技、羊の毛刈りや牧羊犬レースに加え、花や野菜、食品や畜産品など、広範囲にわたって様々なジャンルの品評会が今も活発に行われている。

使用人の変化[第2話]

イギリスの貴族邸、大邸宅に勤務する家事使用人は20世紀前半まではフルタイム・住み込みが主流だったが、第一次世界大戦後には労働党政権の影響もあり、次第にその形態が崩壊していった。本編でもあるように人件費は戦前の3倍とも言われ、貴族といえども大量の使用人を雇用し続けることは難しくなった。また女性使用人は住み込みで一日中、主人家の仕事をこなすために婚姻も難しかったが、次第に「結婚するため、住み込みの仕事を辞める」という選択肢も増えてきた。

大英帝国博覧会[第3話]

博覧会は1798年にパリで開催されたが、その後、徐々に規模が拡大し、1849年にフランスの首相が国際博覧会を提唱したことから1851年に第1回国際博覧会がロンドンで開催された。イギリスではクリスタル・パレス(水晶宮)が建築された第1回国際博覧会、日本から文久遣欧使節の一行が参加した、1862年に開催されたロンドン万国博覧会などがある。使節団の一員だった福沢諭吉がExhibitionを「博覧会」と訳したと言われる。

領地管理人[第3話]

「エージェント」と呼ばれる領地管理人、元々はスチュワード(家令)が屋敷、土地、領地の管理といった財産管理を業務としており、いない場合は執事が兼任することもあったという。スチュワードは他の男性使用人の監督をするバトラー(執事)よりも上の階級であり、使用人のトップともいえる職種だった。またこの職はプロフェッショナルなものとして扱われた。ブランカスター城の管理人であるバーティ・ペラムは幼少時に領地で育ち、1923年、父の死後に除隊して城の管理人として雇われた、とのこと。"ダウントン・アビー"では、トムとメアリーが直接、領地管理の仕事をしている。

ルールズ(Rules)[第3話]

1798年創業、ロンドンのコヴェント・ガーデン地区のメイデン・レーンにある、ロンドンで最も歴史が古いレストラン。初期から現在に至るまで、伝統的なイギリス料理を提供している。メイン・レストランとカクテル・バーの部分は、創業時以来の雰囲気が今も保全され、初期から収集してきた絵画やスケッチなどが飾られている。第一次世界大戦までルール家が代々所有していた。

スカーバラ[第4話]

カーソンとヒューズが新婚旅行先に選んだスカーバラ(スカーブラ)は、イングランド・ノース・ヨークシャーの北海海岸沿いにある町で、ノース・ヨークシャーでは大規模な居住エリアのひとつ。イングランド東海岸にある主要な観光地でもあり、「北のブライトン」と呼ばれることもある。イザベル役のペネロープ・ウィルトンがこの町の出身である。

ヒルクロフト女学校[第4話]

ヒルクロフト・カレッジはサウス・ロンドンにある1920年に設立された女性向けの教育機関で、The National Residential College for Womenと呼ばれ、現在も運営されている。19歳以上の女性を対象にしており、経営学やビジネス、コンピューター・スキルなどの他、失読症の人のためのコースも設置されている。

マグナ・カルタ[第4話]

イングランド王国においてジョン王により1215年6月15日に制定された憲章、「大憲章」(だいけんしょう)。イングランド国王の権限を制限した。 1225年に作られたヘンリー3世のマグナ・カルタの一部が現行法として残っており、現在でもイギリスにおいて憲法を構成する法典のひとつとなっている。「教会は国王から自由である」と述べた第1条、「王の決定だけでは戦争協力金などの名目で税金を集めることができない」と定めた第12条などが重要とされている。

自動車クラブ[第4話]

Royal Automobile Clubは1897年の8月に英国のオートモービル・クラブとして設立された、古い伝統を持つカースポーツ愛好家のためのプライベート・メンバーズ・クラブ。いわゆる紳士だけのクラブではなく、女性も入ることができる。ロンドンのポール・モールと郊外のウッドコート・パークの2箇所にクラブハウスがある。ロンドンのクラブにはレストランやバー、スイミングプールも完備されている。

保険大臣[第5話]

1925年当時の保険大臣はネビル・チェンバレン。1923年から1937年にかけて保健大臣、財務大臣などの要職を務めた。父はバーミンガム市長や植民地大臣などを歴任したジョゼフ・チェンバレン、異母兄は外相時代にロカルノ条約を締結し、ノーベル平和賞を受賞したオースティン・チェンバレン。ネビルの妻アンの叔父は、悪名高い担ぎ屋ホーレス・デ・ヴェレ・コールであり、1910年にバージニア・ウルフと彼女の仲間たち「ブルームズベリー・グループ」と共に、有名な「偽エチオピア皇帝事件」を起こした。偽者のエチオピア皇帝とその随行団がイギリス海軍の戦艦ドレッドノートに乗り込んできた詐欺事件で、海軍は完全に騙され、彼らの正体は最後までばれなかった。

見学会[第6話]

第一次世界大戦後、労働党政権による増税や農産物価格の下落などから貴族の財政が厳しくなり、多くのカントリー・ハウス、マナーハウスの維持が困難になった。さらに第二次大戦で追い討ちをかけられ、1875年から1975年の間に全体の4分の1にあたる1,116ものカントリー・ハウスが荒廃したという記録もある。歴史的建造物の修理や改築は政府機関による監督が行われ、また莫大な費用がかかる。現在も維持されている貴族の館や城の多くは、維持費を賄う為に一定期間、一般見学者に解放されたりしている。

パリ号[第7話]

1921年に北大西洋航路を就航した3万5千トンの豪華客船。建造開始は1913年だったが第一次世界大戦の勃発で進水は1916年、工事の遅れからその5年後に処女航海となった。当時フランス最大の客船で、中央天井をグラスドームにした一等ダイニングルームなど、設備の豪華さでも大きな話題となった。しかし事故の発生も多く、貨物船と衝突したり座礁事故に遭遇したり、また船内での火災で内部を全焼するなどした。

ル・マン式スタート[第7話]

ル・マン24時間レースで長年伝統的に行われて来たことが名前の由来。自動車・オートバイ等のレースでスタートする際に、運転者がピットもしくはホームストレート前にグランドスタンドを向くように一列に並べられた出走車両に向かって並び、スタートの合図で車輌に乗り込んでからスタートするやり方。

飛行機の民間運行[第8話]

アメリカのライト兄弟による世界初の本格的な有人飛行は1903年。その後、第一次世界大戦で飛躍的に発展し、戦後は飛行機による本格的な輸送が開始された。旅客機の歴史が始まるのは1919年の欧州から。はじめは上流階級による旅客機、郵便に利用され、しばらくして後に、一般の金持ち層にも広がっていった。英国やフランス製の機体は木製骨組みに羽布張りの複葉機が主体だった。当時はまだまだ「命がけ」の乗り物であり、贅沢な乗り物となるのは1930年代に入ってから。

王権神授説[第8話]

「王権は神から付与されたものであり、王は神に対してのみ責任を負い、また王権は、人民はもとよりローマ教皇や神聖ローマ皇帝も含めた神以外の何人によっても拘束されることがなく、国王のなすことに対しては人民はなんら反抗できない」とする政治思想。代表的な論者に、『国家論』を著したフランスのジャン・ボダンや思想家のジャック=ベニーニュ・ボシュエ、『父権論』を著したイングランドのロバート・フィルマーらがおり、長らく「神の代理人」とされてきたローマ教会の権威・権力からの王権の独立と、国民に対する絶対的支配の理論的根拠となっている。

ヘアドライヤー[第9話]

ヘアアイロンで髪型を作っていた女性たちが電気式ヘアドライヤーを使えるようになったのは1919年頃から。1906年、ドイツで製品化されたがあくまでもそれは掃除機の付加機能であり、モーターは巨大で手で持てるような形ではなかった。1919年に携帯型ヘアドライヤーの特許が取得され、主に美容院などで使用された。家庭用にも使用できるようになったのは1921年、フィッツジェラルド社が開発したものからだが、それでも女性が片手で持つには相当重かった。

ヘロデ王とサロメ[第9話]

新約聖書に登場し、多くの芸術作品のモチーフにもなっているエピソード。ヘロデ大王の祝宴で素晴らしい踊りを披露した義理の娘サロメは、上機嫌の王から「褒美として望みのものをなんでもやろう」と言われた。サロメの母ヘロディアは、かつて王の兄弟の妻であり、彼女が王と結婚した時に、洗礼者ヨハネから批判を受けていた。王はそのヨハネを捕らえていたが、殺すかどうかを決めかねていた。サロメが褒美の内容を母ヘロディアに相談したところ、ヘロディアは「ヨハネの首を」と娘に答え、それゆえにサロメは義父ヘロデ王にヨハネの首を求め、それは叶えられた。

エプソムソルト[第10話]

硫酸マグネシウムの一般的な名称で欧米では多くの家庭でバスソルトとして使用されている。15世紀~16世紀にイングランドのエプソムという場所で発見され、見た目が白く塩に似ていたためにエプソム塩と呼ばれるようになったが、実は硫酸マグネシウムの純粋な結晶で、塩分は含んでいない。

蛍の光[第10話]

日本で「蛍の光」として知られる「オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)」はスコットランド民謡で、年始、披露宴、誕生日などで歌われる。イギリスやアメリカ合衆国などでは大晦日のカウントダウンで年が明けた瞬間に歌われている。作曲者は不明で、歌詞を現在も伝わる形にしたのはスコットランドの詩人のロバート・バーンズ。旧友と再会し、思い出話をしつつ酒を酌み交わすといった内容となっている。